「中国」と聞いて皆さんは何を思い浮かべるだろうか。
万里の長城や中華料理を想像した読者もいるだろう。だが同時に、情報統制や共産党の一党独裁体制、はたまた靖国問題や歴史認識といった日中関係に関する事柄を思い浮かべた人もいるかも知れない。
あくまで私個人の印象ではあるが、「中国」という国に対して何かしら負のイメージを持つ日本人が多いように感じる。何故だろうか。
この負のイメージ、モヤモヤした不信の原因を紐解く事が、平和分科会の一つの目的であった。
今回は東京セッションでの議論を中心にご紹介する。
東京セッションは主に歴史認識に纏わる議論であった。
おっと、本論に急ぐ前に少し考えたいことがある。この導入、果たして正しいのだろうか。私が北京大生の一人であると仮定しよう。恐らく書き出しはこうなる―――
この違いの意味する事はもうお気づきだと思う。中国が先の大戦の相手として第一に思い浮かべる国は日本だ。日本の教科書では日中戦争として知られているこの戦争は、中国の教科書で明確に「日本の侵略」と説明されている。 お互いに自分の国の教科書を見せ合ったところ、北京大生から次のような指摘を受けた。
「日本の教科書はどうして侵略という言葉を用いずに事実を曖昧にしているのか」
この問いに対する議論で明らかになったのは、東大側と北京側での、”侵略”という単語の重要性の違いである。中国では、「日本が中国を侵略した」という歴史的事実の伝承が重要な意義を持つらしい。一方で、東大側からは、侵略という単語の使用有無で、若い世代の歴史観に重大な影響を及ぼすようには思えないとの意見が出た。勿論、「戦争」を「侵略」と変えることそのものには反対する意見もあったが、言葉そのものに対するこだわりは、明らかに北京側の方が強かった。
東大側から中国の教科書に対する指摘としてあがったのは、「中国の詩的表現にすぎる満州事変の記述は歴史教育として如何なものか」、というものだ。事実、中国の教科書では満州事変の説明は、詩的で悲劇的な文体でなされている。「満天の星のもと、兵士たちは従軍してゆき~」といった調子で数行が続く。北京側もこの事実は認めており、次のような話をしてくれた。
「日本に過度に焦点を当てた歴史教育の在り方には、変化の兆しがある。中国で日本文化が浸透し、抗日戦争の歴史ばかり教えることで国内をまとめることの効果が薄くなっている。現在においては、より客観的な歴史観を求める動きがある」。
更には、以下のような説明も受けた。
「中国が発展するにつれてこのような教育も減っていくだろうし、政府は国を纏める別の方法を模索している」。
最後の一行をもう一度読み直して頂きたい。この意味する処は、今の中国が日本を敵に据えた愛国教育を、国の発展に利用しているということではないのだろうか。
意外にも、北京側はこの推測をあっさりと受入れ、こちらを拍子抜けさせた。
「世界一の人口と多様な民族から成る中国は現在発展途上にあり、中国が強くなるためには国内の”安定”が最優先なのだ。中国人民の統一の為に教育を利用することは避けられない」。
実は、「安定 (stability)」を重視し、此方の疑問に対する理由とする彼らの姿勢は、二週間の議論を通して一貫して見受けられた。正直に申し上げると、東大側はこの「安定のため」という言葉の万能さに辟易していた節もあった。歴史教科書の議論だけでなく、中国における情報統制や人権活動家の逮捕などについても、この「安定」が真っ先に彼らの説明として挙げられていたのである。
議論をしていく中で分かった事は、中国では実際問題として日本人には想像も付かない複雑な政治的社会的状況があり、共産党主導の体制への信頼は相当確固たるものであることだ。この辺りの説明については北京セッション報告に詳細に記載されているので是非読んで頂きたい。
もう二つほど、議論の様子をお伝えしたい。
次は歴史認識において衝撃的だった中国の日本認識についてご紹介する。
日本が再び戦争を起こす可能性はあるのだろうか。この平和な国に生きる日本人の肌感覚として、その実現可能性は限りなくゼロに近いと思う。だが、中国人の感覚は少し違うらしい。中国人は日本が再び軍国主義に向かう可能性が確かに存在し、それを不安、時として恐怖だと感じているらしい。
北京大生の口からこぼれたのは、日本人の武士道精神が残虐性や戦争を誘発しやすい国民性を反映しているというものだ。北京大生の指摘によると、武士の腹切りは命を粗末にする行いであり、武士の忍耐精神がある時点で発散されると、大量虐殺も厭わない残虐性を発揮するという。そしてその武士の精神は今の日本人にも脈々と受け継がれている、とも言う。
「日本の国民性が軍国主義に陥りやすい性質を有している。だから日本が再び戦争を起こすことを想像することができ、恐怖を感じる―――。」
教科書の記述や、中国政府メディアの報道から、日本に対する根本的な悪い印象が中国人の中にはあると、北京側は説明してくれた。これらのバイアスのかかった報道は日本にも無いとは言い切れないが、その影響の大きさに驚きを隠せなかった。日本人も、自分の中国観がメディアによって形成されている可能性に目を向ける必要があるのかもしれない。
最後にご紹介するのは、戦争についての謝罪と反省についての議論。
戦後謝罪問題が日中関係の大きな障壁である事は、誰も否定しないだろう。
戦後70年を迎えた今年、安倍談話が公表された。今回の談話には、先の世代の子どもたちに、謝罪を続ける宿命を負わせてはならない、との内容が初めて盛り込まれた。議論の中でもこの一節が取り上げられた。戦争の責任を忘れても良いのか、という北京側に対する東大側の主張は、謝罪は幾度となく繰り返した、日本は戦争を深く反省し平和を今後も第一に尊重する、私達の謝罪を受け止めてほしい、というものであった。北京側の反論として上がったのは、談話での謝罪があっても、教科書の記述や靖国参拝等のその後の国内的対応から、真摯に戦争を反省しているようには思えない、という指摘だ。
この議論の応酬の中で分かったのは、彼らが望んでいるものが、謝罪よりも反省に近いものであることだ。先の戦争への十分な反省意思と、それを裏付ける物理的事実。この一致こそ、中国が日本に求めている態度らしい。そして、今の日本は行動が不十分だと。
何故そこまで日本に要求するのか。この問いに対する答え、実は、既に紹介した議論の中で暗示されている。
日本が再び軍国主義化するのでは、というぼんやりした印象である。
具体的かつ容易に判断出来る日本側の行動が確認されない限り、この不信は拭えない、という北京大生の主張は揺るがなかった。日本に求められる具体的政策や提案として、靖国神社に首相が公式であれ私的であれ参拝を行わない(私的であっても首相という立場上、日本国民を代表した公的な人物であるというのが彼らの主張)、教科書記述を「侵略」に改める、などがあがった。
どうして、日本が常に先に行動を求められるのだろうか。
「中国では政府の影響力が強く、政府が変わらなければ、国民の反日感情も変わらない。そして、日本が積極的な行動を起こさない限り、中国政府は絶対に態度を変えないだろう。」
これら北京大生が提示した説明は何処か全てを政府に任せているような印象を筆者に与え、解消し切れない蟠りを残している。この蟠りの払拭は今後の課題として、考えていきたいと思う。
さて、そろそろ本稿を締めくくる。ここまで読んで頂いた読者の皆さんには感謝の意を表したい。
日本と中国の間にある溝を埋めること、溝の原因を探し出すことは、短い期間の議論で完結するような簡単なものではない。それでも、多くの若者が議論し合い、そこで得たものを共有してくことには、長期的な視点に立てば意味を持つかもしれない。
私たちが議論し合い、理解しあった成果が、今後の日中関係改善に資することを祈って、この報告書の締めくくりとする。
文責:平和分科会 磯野凪沙
(編注:以上の内容は個人の意見であり、弊団体を代表するものではありません。)