こんにちは。サステナビリティ分科会の章雅涵です。
今回の記事では、東京セッションのまとめを報告させていただきます。
はじめに、「サステナビリティ」という単語と概念の定義を説明させていただきます。私たちの分科会では、この単語の定義を議論を通してこのように決めました。
---To develop and utilize the resources in a manner that will preserve the nature and people’s health, and at the same time, will not threaten the living and the development of the next generation.
つまり、自然と人間の健康を損なわない程度で資源を使用する上、次世代の生存と発展に悪影響を与えないような開発や発展している状態を、「サステナビリティ」な状態と呼ぶことにしました。これはかつての国際会議で決められたものと同じ趣旨です。
このサステナビリティというゴールに向けて、国際社会は様々な取り組みをしてきました。一番象徴的なのがCO2の削減量でしょう。
さて、ここでいきなり質問をしたいと思います。
よりサステナブルな世界を目指すために、CO2の削減量について、たとえばフィリピンと日本であれば、どちらの国がより多く負担すべきだと思いますか?
おそらく多くの人は「日本」と答えると思います。
理由はいろいろあるでしょうが、ほとんどの人は、日本が先進国だから、もしくは日本のほうがCO2をより多く排出してきたから、日本のほうのGDPが高いから、と答えるのではないでしょうか。
では、日本とドイツでしたらどうでしょう。
ちょっと難しいですね…。どちらも工業大国であり、先進国です。GDPも大差ないですね。引き分けといったところでしょうか。
最後に、中国と日本でしたら、どちらを選びますか?
答えは、しばらくみなさんの心の中にしまっておいてください笑
さて東京セッションのまとめの報告に戻ります。
私たちサステナビリティ分科会は、東京セッション中に
の二つの議題についてディスカッションをしました。
議論の中で、私たちもさきほどみなさんに投げかけた質問に遭遇しました。そこで、世界全体がサステナブルな社会になるための各々の国の貢献量を、何によって決めるのかについて考えました。気候変動や資源枯渇などの問題を引き起こしたのは誰の責任だったのかをまず考えた際、私たちは汚染者負担の原則と、受益者負担の原則の二つの原則に則って、貢献量を算出する基準を決めることにしました。汚染者負担の原則とは、今まで地球に多くの汚染物質を出した国ほど多く負担するという原則であり、受益者負担の原則とは、地球を汚染したことを引き換えに得られた利益が大きいほど多く負担するという原則です。
従って、まず汚染者負担の原則で基準を考えた時、CO2の排出量を考慮に入れました。国によってCO2の排出量のピークが大きく異なるので、近年の排出量と近現代全体の総和量の二つの基準をまず置きました。続いて受益者負担の原則で考えた時、絶対的な基準ではないが、目安としてGDPは国際社会でも多く用いられているので、GDPおよび一人当たりのGDPの二つの基準を置きました。しかし、例えばアメリカの工場がタイ国内で生産をする場合、工場の売り上げはタイのGDPに算入されます。しかし利益を得るのはアメリカの会社なので、GDPだけで判断するのは少し不公平に感じるのも無理はないでしょう。このように工場の売り上げをアメリカのほうに算入する値を表すのが「GNP」です。これも一つの基準になると考えました。最後に、高度な科学技術を持っている国はそれを使うとより容易にCO2の削減できるのではないかと考えました。また、今まで取り組んできた環境保護の実績も考慮に入れるべきという意見もあったので、上の5つの基準に加え、「技術能力」と「環境への優しさ」の二つの基準も加えました。
これらの7つの基準のうち、サステナブルな社会に向けて、ある国がどの程度貢献する義務や責任があるのかを考えるのに、どの基準をより重視したらよいかについての意見を交換しました。
すると答えはこのようになりました:
- PKU side = 北京大生5人の結果
- UT side = 東大生5人の結果
- 6つの基準のうち、最も重視する2つの基準が「high」、最も重視しなくてよい2つの基準が「low」になっています。
みなさんは、何を基準にしてさきほど私が投げかけた質問に答えたでしょうか。このように、一人一人の基準でも違うのですから、世界約190ヶ国で一つの合意に達するのは非常に困難なことだとより感じることができるでしょう。また、国によって状況も変わりますので、どの基準でどの国に当てはまればいいのかについても、十分に考慮した上でしかCO2の削減量は決められないことも納得しました。
ここでもう一つ、東京セッションで気づいたことをお話ししたいと思います。
私たちの想定していた北京大生の答えは、「中国はまだ一人あたりのGDPが低く、また、貧困問題も解決されていないので、国際社会ではさほどの責任はない、もしくは国際協力に積極的に携わらなくてもよい」といったものでした。
しかし北京大生の答えや考えはまったく逆でした。
私は中国生まれで日本育ちの中国人です。
しかし実際のところ、中国は今年20億ドルを世界最貧困国に援助し、2030年には援助額を120億ドルに引き上げる見通しも発表しました。また、中国ではサステナビリティに取り組む企業が近年急増しているというデータもあります。
もちろん、これを中国の政治戦略とみなすのかどうかは読者の皆様に任せます。
しかし、北京大生と議論して中国の取り組みについて知らされた時、今までの自分たちは、どうして「先進国」と「途上国」というカテゴリーの中で物事をうまく抑えようとしていたのか逆に不思議になりました。中国は自分たちを途上国だと主張しながら、他の国を援助しているのは一見理解しがたいものですが、逆に発展途上国だから他の国を援助できない理屈もどこにもありません。
もちろん例えばCO2の排出量を決める時に、先進国と途上国というカテゴリーで考えたほうが便宜的でしょうが、だからといって、途上国は自由にCO2を排出してよいというわけでもありません。それぞれの国が自粛をしたり、犠牲を払ったり、自国に最も適している協力の仕方をすべきだと、改めて思いました。
サステナビリティを始めとする多くの国際協力は、先進国だけが頑張ればよいこともでもありません。絶対的な基準を設けて物事を決めればいいわけでもありません。
柔軟な思考力で複雑な問題に対応していける必要性、これは「当たり前」すぎることでありながらも、普段生活しているとよく忘れてしまうことでもあるのではないでしょうか。
京論壇の議論に参加して、北京大生と価値観とぶつけ合うことで新しい視点が得られただけではなく、参加者一人一人、改めて自分の中の今まで忘れられた「当たり前」を喚起することもできたのではないでしょうか。私たち京論壇で得られた学びも、まとめも、所詮、よくよく考えたら「当たり前」のことばかりです。しかし、各々の「当たり前」に気づくことこそが、日中だけでなく様々な二国間関係を構築するのに最も難しいものであり、最も肝要なものでもあるのではないでしょうか。
文責:サステナビリティ分科会・章雅涵