ある努力の物語を見てみよう。
その高校生は高2の時点で学年ビリだった。しかし、あるきっかけで一念発起して努力を重ね、その1年半後には日本でも指折りの名門私立大学の受験を突破する。自分が置かれた状況がどんなものでもあきらめずに努力を重ねれば未来は切り開ける。どこかで聞いたことがある努力神話だ。
おっと、忘れていたことがある。「努力を重ね」ていた時期にその子は週にかなりの回数個別指導塾に通っている。ちなみにこれは年間で週百万円かかる。日本のサラリーマンの年収の単純な平均をとると4~500万円だそうだ。
さて、これは本当に努力神話だろうか?
ちなみに私事であるが、地方公立高校出身の私は浪人時代にはじめて東京の予備校に通って感じた“機会の不平等”さを鮮明に記憶している。
日本にも中国にも家族、性別、出身地など生まれた瞬間に決まってしまうことはたくさんある。それは仕方のないことだ。では、それによってその後の人生が決まっているとしたらどうだろうか?あなたはどう思うだろう?
大きな社会システムの中でのそのような“不公平”、それはあなたにとってどんな意味をもつだろうか?
私達がこの分科会で議論するのは上記のような問いである。
私達はこのテーマの真に興味深い具体例をいくつも考えているのだが、それを全て紹介するにはこの余白は狭すぎるので1つだけ紹介したいと思う。
IMFが今年発表した最近の報告書によれば中国はいまや「世界で最も不平等な国の一つ」になったようだ。一方で日本でも『21世紀の資本』が10万部を突破するなど格差に対する注目は極めて高い。
戦後70周年、京論壇創設10周年のこの記念すべき年に両国が共通して抱える課題を議論し未来を築ける貴重な機会を存分に楽しんでいきたい。
佐藤直樹(議長)