これは本年度の京論壇ファイナルプレゼンテーションのビラの見出しに、僕が書き入れた一言です。
ずいぶん大げさだなあと思われるかもしれません。
京論壇のメンバーは、半年弱という時間をかけて互いの価値観を引き出そうと、数多くの文献を読み漁り、フレームワークや質問を入念に準備し満を持して二週間の議論に挑む。されど所詮学生。知識レベルは専門家たちにははるかに及ばないし、まずメンバー全員がそれぞれ取り組むテーマを専攻しているわけではない。二週間の活動を通して、なにを残せるのか。
そもそも、果たして京論壇の活動は何の意味があるのか。
この問いに長いことすっきりいく答えを見つけることができず、正直ずっともやもやしていました。
しかし最近、少しずつではありますが、確実に、その問いへの答えをつかみ出している気がします。
きっかけの一つとしては、先日中国塾にお邪魔させていただいたときのことがあります。当日、中国塾にいらっしゃったのは、教授や元国会議員、マスコミ関係者など、そのなかでも、とりわけ中国に大変明るい方ばかり、そんな豪華なメンバーの前で、京論壇の紹介をさせていただきました。
紹介直後の休憩、紹介をした代表のところへ参加していた方々が次から次へと、京論壇のことを知りたいと来てくださった光景にとても驚いたのは、今でも鮮明に覚えています。その後の懇親会では、数多くの社会人の方に、僕らの活動を大変評価している、そして期待している、との話をたくさんお聞きしました。
「このような学生同士の交流が現在、そしてこれからの日中関係に寄与する」
「異文化を背景に持つ学生たちと闊達な議論を通し、相手を知り、己を知り、知見を広げることはとても大事」
「偏見を持たず、柔軟な頭だから、それはそれは有意義なものになるだ」
以上のことは確かによく言われることではあります。ですが直接聞くことで、この集団に対する、社会からの関心及び期待を大きく感じ、改めて自覚するきっかけになりました。また同時に、責任もより一層強くなった気がします。
たしかに僕らの二週間の議論は、明日の社会、日中関係に直接何かを残せるわけではないかもしれません。しかし、両国の未来を担うべき学生の本気のぶつかり合いは、何かしらおもしろいものを残せるに違いないと思っています。発言に特別な責任を負わない学生たちが、お互いの色眼鏡を取っ払い、両国の現状を共有し、互いの価値観を率直にたたかわせることで導かれだされるものは、僕らの心に残るものがあるでしょうし、社会に何かしらの問いを呈することもできるでしょうし、日中関係に新しい種をまくことになるのではないでしょうか。
何よりも、二週間の議論の軌跡、そして必死に生み出した結晶は、本質でしょうし、日中の英知の結集といっても過言ではないでしょう。
そういうものをちょうど一か月後の10月4日のファイナルプレゼンテーションで、みなさんに御覧に入れるため、まずはこの一週間、がんばってきます。
個人的にも、帰国したときに、この集団およびその活動の意義に確信を持てているような滞在にしたいです。
チーム東京、いってまいります。
京論壇2015 副代表 村松旺