皆さんは「人口」という言葉を聞いたとき、何をイメージされるでしょうか。
一方で、政府が出産を奨励または抑制するということは、歴史の中で、そして現在も、様々な国で行われていると言えることでしょう。いびつな人口構成や、はたまた過剰な人口によって引き起こされる問題を回避・緩和するため、その目的自体はある意味正当化されうるものです。
ですが、生命の誕生に関わり、本来個人的な決定であるはずの「出産」に政府が干渉することは、果たしてどこまで許されるのか。倫理観と社会の利益の対立がここに生じます。日本側のメンバーでの議論でもこの点については意見が分かれました。一人っ子政策下で生まれ育ち、これから二人っ子政策下で親世代になっていく中国側のメンバーたちがこれについてどんな考えを持っているのかということは、私たちにとって非常に興味が湧くところです。
「人口」はつまるところ一人ひとりの人間が集まって成り立っています。その一人ひとりの人間にはそれぞれの生活、人生があります。「人口」はそれらを一つに束ねて捉えている考え方とも言えるでしょう。そしてこの人間の集合としての「人口」のあり方がまた、一人ひとりの人間の生活、人生のあり方に影響を与えてくるということは否定できない事実です。このように人口問題といって連想されるトピックはどれも、一人ひとりのLifeにかかわる問題になってきます。
その際に私たちは、各トピックをマクロ・ミクロの視点それぞれから捉えることによって、議論を深められるのではないかと考えました。
たとえば、労働力の減少について。労働力の減少は、国の経済的なプレゼンスの低下につながると一般に言われています。それは私たちにとって「好ましくない」ことかもしれません。けれども一方で、労働力の減少は失業率の低下や賃金の上昇、ブラックな職場環境の改善につながるともいわれています。この意味において、一労働者の視点に立つならば労働力減少は「好ましい」ことであるとも言えるのではないでしょうか。
中国においては、豊富な低賃金労働力こそ「世界の工場」として経済発展を遂げてきたと言われてきたけれど、低賃金で働くのは具体的な中国人一人ひとりであることについてよく考える必要があります。「低賃金労働力たること」は中国人にとってこれからも維持されるべき強みなのでしょうか。それとも、やはり国全体の経済発展が大事なのか。ここにおいても、マクロの視点とミクロの視点での問題の見え方の違いが浮き彫りになってきます。
では、日本において、育児にかかる費用等の観点で“子どもを育てやすい”と言われる地方に近い将来移住する(地元に戻る等)という選択肢は、私たちの目にどれくらい魅力的に映るものなのか。東大側の各メンバーの個人的な見解を共有した段階で、私たちの中では「自分のキャリアを優先したい(地方で大きなチャンスがあるのならば地方移住も魅力的な選択肢だけれど、現段階で積極的に移住したいとは思わない)」という傾向がみられました。むしろ、より子育てのしやすい環境があるといわれる欧州の国に移住しそこで働きたいという意見もありました。こういった傾向は私たちの分科会のメンバーの中でみられたものに過ぎず、必ずしも一般的なものとはいえません。しかし、社会全体をみる視点と個人の視点それぞれでの「好ましいこと」はズレていく可能性が十分にあるということです。
こうした議論を踏まえて、我々は人口問題を切り口に、今後日本と中国の社会はどうなっていくのか、どうなっていくべきなのか(私たちの考える「発展」とは何なのか)ということを見つけるべく、1ヶ月後に迫った北京セッションに向けて、お互いの価値観を浮き彫りにできるようなクエスチョンを目下思案中です。
この活動を通して、社会問題に直面した際に、色々な角度で問題をとらえ、より良いアプローチができるような力を身につけられればと思いますので、今後とも応援のことよろしくお願いいたします。