こんにちは、人口発展分科会メンバーの齋藤勇希です。
10/8の京論壇最終報告会をもって、約5ヶ月の人口発展分科会の活動が終了しました。
今回は、東京セッションで行った「人口政策」についての議論を紹介しつつ、個人的な成長について語れたらと思います。
ところで、「人口政策」とは何でしょうか?
広義には、人口の移動に影響を与える政策(移民政策、中国の“戸口[hukou]”(戸籍制度)など)、人口の質に影響を与える政策(健康を増進させ、寿命を延ばすなど)も含むことがあります。
たかだか10人のメンバーではサンプルが少なすぎるかもしれませんが、それでも全ての中国人学生が支持側に回ったのは興味深いです。
京論壇はwhy?を繰り返していく議論を特色としているので、ここでもwhy?を繰り返して相手の主張を深掘っていったところ、面白い発見がありました。
彼らにとってはやはり「まず国家あっての人権」という意識であり、国益と人権というものがより強固に結びついているのです。
北京セッション中にかなり雄弁に政府批判を繰り返していた北京大生にとっても、やはりこの政策について議論していると「政府≒個人」という意識になる。
これは面白い発見でした。
このことは、日本の現在の少子化対策について議論した時にも如実に現れます。
勘違いしないでいただきたいのは、「北京大生に人権意識がない」というわけではないということです。彼らも、「人権は西洋の概念(western concept)だと感じる」とは言っていたものの、もちろん生命や身体の侵害、「産む権利」の侵害を問題視していないわけではありません。
「一人っ子政策」の場合も、あくまで差し迫った飢餓・貧困の連鎖を断ち切るためのものであり、”The end justifies the means”.というわけです。
なるほどと思いました。
日本人としても、「公共の福祉」により個々人の自由が制限されるということ自体には賛成なので、どこまで許容するかという程度問題なのかもしれません。
「人口政策」の議論では、そんなことを学びました。
正直に言うと、個人的には「韓国や台湾、香港の学生と比べて中国本土の学生ってよく彼らだけで固まってしまうし、言っていることもなんかちょっとよくわからない…」という印象を持っていました。
しかし、人口政策に限らず、今回日中の学生だけで二週間インテンシブに議論する中で、少なくとも彼らの言っていることは「筋は通っている」と思うようになり、それは大きな収穫だったと思います。
自分は四月から日本の公的機関で働くこととなりますが、残念ながら京論壇に参加した北京大生の中に中国政府で働くことを目指す学生は見当たりませんでした。
京論壇の参加者のようなある程度リベラルな価値観を持ち合わせた中国指導者ばかりではないのかもしれません。京論壇での話し合いはしたがって、将来中国のカウンターパートと話し合うときにそのまま役に立つわけではない可能性もあります。
しかしそれでも、リベラルで西洋寄りの価値観と中国的な価値観を併せ持った北京大生が、ある種日本と中国の橋渡しのような役割を果たしてくれたおかげで、自分が京論壇参加前に抱いていた「中国本土の学生ってなんかよくわからない」という想いはかなり払しょくされました。
しかし、その「よくわからない」という感情をむき出しにするよりも、一つずつじっくり議論してたとえ共感できなくともお互いを理解しようとしていくこと、その上で対話すること、それが結局はこの大きな隣国とうまく付き合っていく鍵なのではないかと思いますし、その姿勢を二週間かけてじっくり学べることが京論壇に参加する意義ではないかと自分は思います。
就職活動でセッション前の準備が十分にできていなかった上に時々よくわからないことを言い出す、そんな自分を優しく受け止めてくれた人口発展分科会のみんな、そして京論壇を支えてくれた運営メンバーや協賛企業の皆様、関係者の皆様、この貴重な機会を与えてくださり誠にありがとうございました。
細々と東アジアの学生会議に関わり続けてきた自分の大学生活を締めくくる大変有意義な日々になったなと感じています。
この経験を活かしつつ、日中関係が少しでも誤解と不信から解放されるよう、自分にできることをコツコツとやっていこうと思います。
東京大学国際関係論コース4年
齋藤勇希