こんにちは。京論壇2016のブログに足を運んでくださり、どうもありがとうございます。
本年『リーダーシップ分科会』の議長を務めます、教養学部国際関係論4年の鎌田みどりと申します。
リーダーシップ分科会では、個人的経験、国内社会、国際社会といった場面において、あるべきリーダーシップの姿を考えるとともに、個人、あるいは各国のリーダー観を問います。
北京大学と東京大学に所属する一部の学生は、将来何らかの場面でリーダーシップを発揮するよう期待されているように感じます。私たちがこれまでの人生でリーダーとなったりリーダーを支えたりした経験から話を始めたいと思います。リーダーに求められるのは人徳か能力か、トップダウンとボトムアップはどちらがよりよく機能するか、誰しも語りたいことがあるはずです。
続いて、国内社会における政治やビジネスといったコミュニティでのリーダーシップを扱います。これらの場所で私たちは現在、リーダーをサポートするメンバーであり、将来的にこの舞台で我々がリーダーシップを発揮することになると仮定すれば、下から、上から両方の視点を持つでしょう。
ビジネスの世界では、人材の多様化やグローバル競争などのトレンドがリーダーシップにどんな変化をもたらしているかなど、日中で学び合えることも多いでしょう。政治の面では、日本と中国の現在の社会を自分たちなりの視点で捉えつつ話したく思います。「決められる」リーダーというフレーズが魅力的に響く近年の日本、ネット社会や学生運動が強固な政治への下からの要求となる中国、どんなリーダーがなぜ求められるのでしょうか。またリーダーを選ぶプロセスについては、日本と異なる中国の体制についての理解や議論を深めるのはもちろんですが、一方で世界各国に目を転じれば民主主義とポピュリズムの境界が曖昧になる現実に、日本の学生も自らの問題として立ち向かわねばならないでしょう。
さらに、国際社会において、力の行使のみに頼らず各国に信頼されて支持を取り付け、世界を正しい方向に導いて行くという意味でのリーダーシップについて話せればと思っています。各国の利害がぶつかり合う国際社会において、それでも共有されるべき価値があると信ずるなら、国際的なリーダーはどう振る舞うべきでしょうか。成長著しい中国が国際的なリーダーシップを持つことになんとなく不安を覚える、アメリカのリーダーシップになんとなくの安心を覚える、「日本が世界でリーダーシップを発揮する」というフレーズになんとなくの空虚さを覚える。これら日本側が感じる「なんとなく」はなぜ生じ、なぜ中国のそれと食い違うのか。経済、開発、人権や法規範など多様な分野において、日本と中国がどんな強みを持ってどう振舞い、信頼をもとに国際社会を導いていくべきか。スケールの大きな議論でも、私たちなりの視点で語れればと思います。
こういった議論を通じて、最終的に今日あるべきリーダーシップの姿を探し求め、各国、そして個人のリーダー観を捉えていきたいというのが現在の展望です。しかしここまで日本側メンバーと一緒に本を読んだり議論したりしながら「中国の学生と話したら楽しいだろう」と思われる議論を考えてきたものの、北京側との擦り合わせや的確な問いのたて方などに悩む日々です。
北京セッション開始まで二ヶ月、優秀で個性的なメンバー5名とともに準備を進めていきます。中国という巨大で複雑な隣国について想像し、問い、考えること。それと同時に「知っているつもりの自分の国」日本に徹底的に向き合い、疑い、思考すること。この両方を心がけることで、より刺激的でよりナイーブな議論を通じて「内への発見」を達成し、「外への発信」に辿りつけるよう、励みたいと思います。
今後とも、京論壇2016への応援をよろしくお願いいたします。