京論壇に関心をもってこのページを訪れてくださる方は、京論壇にどんなことを期待するのだろうか。
中国について知りたい、日中関係について知りたい、北京大生と知恵競べをしてみたい、など色々な思いがあるのだと思う。
京論壇の魅力は、語る人によって異なるのだろうが、私にとってそれがどんなものかをお話ししたい。
それは私にとって、参加する北京大生の思考を知って追体験するとともに、自己の価値観を内省するという極めて個人的な営みである。
私が所属した分科会では、「日中両国の政治体制が違うこと」と「歴史や領土を巡って外交的な緊張が高まっていること」という理論上は独立しているはずの二つの事柄が、どちらも理解し難く不審なものという印象を国民持たせ、両国間の不信を増加させているサイクルの存在を仮定した。
その上で、前者の「異なる政治のリーダーシップ体制、そこから生じる社会のあり方」を私たち自身がどう捉えるかを明らかにすることでこのサイクルを軽減しようと考えたのである。
たしかにこの考えは、「日中間の不信の解消」という京論壇の大きなテーマとは一致している。
しかし実際に参加者が体験するのは極めて個人的で、良い意味で自己満足的なもののように思われる。
しかしながら、過度な一般化に拘らず、ミクロな感覚、個人的な学びが議論の大きな部分を占め、京論壇の大きな魅力の一つだと思うのである。
私が事前に持っていたイメージは、(これはセッション後の今だから明確に言語化できるのだが)、「中国に住む北京大生は民主主義や表現の自由を希求しているに違いない」というものだった。
一歩踏み込んで誤解を恐れずにいうなら、「(たくさんの社会問題を抱えているようにみえる)中国に住む北京大生(ほど頭ががいい人たち)は、((同じくらい頭がいいはずの)私たちが当たり前に有する)民主主義と表現の自由を希求しているに違いない」というものだった。
この(ほぼ憶測ともいえる)考えはセッションを通じて変化させられることになり、同時に私に内省を促すことになった。
「北京大生は頭がいい」という前提は、ほぼ間違っていなかったように思う。
一方で、結論から言って北京大生は思ったよりも自国社会の現状や制度に合理的な理由を見いだしていたし、中国という国にとって、あるいはコミュニティ一般にとって民主主義や表現の自由を盲目的に礼賛すべきでないということを、説得的に語ろうとしてくれた。
このように書くと彼らが政府の立場を堅持しているようにも見えかねないが、彼らなりに信ずるところ、社会を見る目が備わっているというのが私が受けた印象である。
このプロセスで彼らのロジックを一つずつ確かめ(このプロセスは往々にして簡単ではないし、時々はストレスを感じる)、そこに潜む感覚や信条を追体験していくこと、それが自分の感覚や信条とどの部分で異なるのか、なぜ異なるのかを発見していくのが、私の思う京論壇の醍醐味である。
「この辺の感覚は同じだけれど、ここは決定的に違うんじゃないか」「その違いが生じる理由についてこんな仮説がある」という形で議論が進む。
更には、「北京大生」と一口に言っても一枚岩ではないという、ごくシンプルな事実にも気づかされた。
セッションが進むにつれて表現の自由に関する政策など政権の方針に不満を表明する学生もいれば、欧米諸国が自国制度を妄信し、中国を過小評価していると主張する学生もいた。
香港で生まれ育って北京大に進学した学生は、明らかに大陸育ちの学生と価値観を異にした。自分の育った農村を繰り返し例に挙げる学生もいた。これも極めて属メンバー的な学びであった。
また、彼らが同時に、私たちの感覚を理解し追体験しようと試みる質問のやり取りの中で、上記したような自分の中のイメージやバイアスを可視化、言語化することになった。
本当に、国民の投票を通じて選ばれるリーダーが国民にとって最大の幸福をもたらすのか、あなたは本当に納得しているのか、それとも受けてきた教育と現状の制度を肯定したいだけなのか、という彼らからの鋭い問いは、今日の世界情勢を前に東大生を幾度も口ごもらせることになった。
本分科会の議論を通じてメンバーが得たものについては、過去のブログや報告書等を参照していただければ幸いである。
私が京論壇に参加したのは、大学入学当初から持っていた中国という存在と、大学での学びや経験を自分の武器として、大学最後の年に向き合いたいと思ったからだった。
振り返って思うことは、もしかしたら京論壇は(あるいは多くの学生団体は)「中国を知る」という目的を掲げた場合には完璧なものではないかもしれない、ということだ。
それは学者ではない私たちにはあまりに大きすぎるし、政治家ではない私たちにはあまりに政治的すぎる。
私が手で触れることができたのは巨大な中国に住むほんの一部の学生の意見であって、一見同じような若者に見えるわたしたちが、なぜ異なる考えに至るのかという小さな問いを真剣に追求した半年間だったように思う。
しかしそこまで射程を絞ることで、「一人一人の人間が現実をどう咀嚼するのか」「どんな未来を求めるのか」を突き詰め、彼らの考えを追体験し、それを自分の考えと照らし合わせることができ、これは確実に、私の大学生活を締めくくる重要な経験となった。
これをお読みになった方が、少しでも京論壇に関心を持ってくだされば幸いに思う。
教養学部総合社会科学5年(卒業)鎌田みどり