議論の進捗とはセッション中に話し合うことが現段階でどれだけ決まっているかということで、具体的に言うと⑴分科会としての目的は何なのか、⑵どのようなトピックを扱うのか、⑶それぞれのトピックでどのように議論をするか、⑷以上の点を北京大学生とどこまで共有できているか、といったあたりかと思いますので以下でこれらを順に報告させて頂きます。
⑴グローバリズム分科会の議論における目的
「グローバリズム」というテーマはその中に政治経済文化など多種多様なトピックを含む上にその概念自体も賛否両論があり全体的に「こうあるべき」というイデオロギーが存在しないため議論の行方が見えず、分科会としての目的を定めるのに苦労しました。ただ多様なトピックを議論していても結びつきがなく、逆にグローバリズムの是非や国際社会の行方を語るのも途方もない作業です。
そこでまず、専門家でない学生の我々が話し合う価値があるのは我々の価値観や経験をベースに議論できるものであり、国際社会が今後どうなるのか・どうなるべきかを歴史的・理論的に見て話し合うようなものではないと考えました。
そして多様なトピックから多くに共通するテーマを探し出すことにし、「Justification」を挙げました。グローバル化する社会の中で、国同士の敬意を欠いた衝突、国際社会での非協力的な行為、国民に対する説明責任の欠如、普遍的価値観の押しつけ…などという問題がありこれらに共通するのは「相手の傲慢さに対する不満ないし怒り」であり、その原因は「どこまで正当化できるかという価値観のズレ」だと感じています。各人や組織が自身の要望を実現すべく動いていますが、それでも相手の価値観が理解しがたいというケースがこのグローバル化の時代で一層増していると感じます。
グローバリズム分科会としてはこのような価値観のズレが各国民の間、そして両大学の学生間にも存在すると仮定し、多様なトピックを通してその違いや違いの原因となる社会的背景を少しでも多く理解できればと考えています。
「グローバリズム」というテーマはその中に政治経済文化など多種多様なトピックを含む上にその概念自体も賛否両論があり全体的に「こうあるべき」というイデオロギーが存在しないため議論の行方が見えず、分科会としての目的を定めるのに苦労しました。ただ多様なトピックを議論していても結びつきがなく、逆にグローバリズムの是非や国際社会の行方を語るのも途方もない作業です。
そこでまず、専門家でない学生の我々が話し合う価値があるのは我々の価値観や経験をベースに議論できるものであり、国際社会が今後どうなるのか・どうなるべきかを歴史的・理論的に見て話し合うようなものではないと考えました。
そして多様なトピックから多くに共通するテーマを探し出すことにし、「Justification」を挙げました。グローバル化する社会の中で、国同士の敬意を欠いた衝突、国際社会での非協力的な行為、国民に対する説明責任の欠如、普遍的価値観の押しつけ…などという問題がありこれらに共通するのは「相手の傲慢さに対する不満ないし怒り」であり、その原因は「どこまで正当化できるかという価値観のズレ」だと感じています。各人や組織が自身の要望を実現すべく動いていますが、それでも相手の価値観が理解しがたいというケースがこのグローバル化の時代で一層増していると感じます。
グローバリズム分科会としてはこのような価値観のズレが各国民の間、そして両大学の学生間にも存在すると仮定し、多様なトピックを通してその違いや違いの原因となる社会的背景を少しでも多く理解できればと考えています。
⑵扱うトピック
北京セッションでは多国間の問題を扱い、東京セッションでは日中間や両国国内の問題を扱う予定です。
長くなりますのでトピックは上の表をもって紹介とさせて頂きますが、両セッションとも政治経済、社会や環境など幅広いテーマを扱う予定です。枠組み自体に必然性はなく、上記のような価値観の違いが想定されるものを選ぶ事に注力しました。
⑶どのような議論をするのか
前述のように、それぞれのトピックで「Justification」を念頭に置いて議論を進めます。各トピックで価値観が分かれると期待できるケースを用意し、それが正当化されうる問題なのかを議論しながら互いの価値観を探っていくという方針です。
例えば、北京での経済分野での問題では、中国の経済拡大による中国脅威論を扱います。扱うケースとしては中国が経済協力の結果スリランカの港の使用権を得てしまった件で、果たしてこのような振る舞いは正当化されうるのか。どの点に問題があり、どの点は許されるのかといったことを話し合い、各人の価値観を比較したいと考えています。
立場によって一方が他方を糾弾するような議論にもなり得ますが、北京大学側とはこの点において了解が取れており、北京側が作成した資料にも議論の原則として、“The discussion should be controversial and debatable, instead of caught in political correctness.”とあります。
前述のように、それぞれのトピックで「Justification」を念頭に置いて議論を進めます。各トピックで価値観が分かれると期待できるケースを用意し、それが正当化されうる問題なのかを議論しながら互いの価値観を探っていくという方針です。
例えば、北京での経済分野での問題では、中国の経済拡大による中国脅威論を扱います。扱うケースとしては中国が経済協力の結果スリランカの港の使用権を得てしまった件で、果たしてこのような振る舞いは正当化されうるのか。どの点に問題があり、どの点は許されるのかといったことを話し合い、各人の価値観を比較したいと考えています。
立場によって一方が他方を糾弾するような議論にもなり得ますが、北京大学側とはこの点において了解が取れており、北京側が作成した資料にも議論の原則として、“The discussion should be controversial and debatable, instead of caught in political correctness.”とあります。