ジェンダー分科会に参加している坂西と申します。
京論壇では、参加者が持ち回りでブログを更新しています。
↑〈宵山の様子〉
↑〈山鉾巡行の様子〉
以前の私であれば、「そういう伝統だから」ということで、モヤモヤとした感情を抱くことはなかったでしょう。
京論壇・ジェンダー分科会のメンバーと話しているうちに、自分の中で問題意識の感度は上がっていたようです。
京論壇・ジェンダー分科会のメンバーと話しているうちに、自分の中で問題意識の感度は上がっていたようです。
今回のように、祭りにおける女人禁制やそれに類する慣習は、日本では比較的多く存在する事例だと思います。この議論に明確な意見があるわけではありませんが、個人的に「善し悪し」という議論をするべきではないなと感じます。
古き良き伝統だから議論の余地はない。その伝統は女性差別に当たるから悪い。
例えばこのような意見があったとして、私は、どちらにも違和感を覚えます。善し悪しで語れる問題ではないと思うのです。ジェンダーに対する価値観も感度も人それぞれです。どのような形であれ、それを否定する言葉こそが摩擦を生むのではないでしょうか。ですから、語るときは常に「善し悪し」よりも「何を実現したいか」を話すことこそが重要なのではないかと思います。
伝統として女人禁制の風習があり、それを守りたい。参加者が不足する中で、女性で参加したい人の参加は認めていきたい。「何をしたいか」を明確に議論していくことが大事だと思います。
特にジェンダーの問題は、無意識のうちに、私たちが生まれたときからずっとさらされている根深い問題です。善し悪しを考える理由を掘っていっても議論はまとまらないのではないかと感じています。差別的な言葉に対しても敏感な分野だと思います。感情的になりやすい話題です。
そのような議題だからこそ、どういう未来を描きたいのかを明らかにしていく話し方がより一層求められると感じています。
古き良き伝統だから議論の余地はない。その伝統は女性差別に当たるから悪い。
例えばこのような意見があったとして、私は、どちらにも違和感を覚えます。善し悪しで語れる問題ではないと思うのです。ジェンダーに対する価値観も感度も人それぞれです。どのような形であれ、それを否定する言葉こそが摩擦を生むのではないでしょうか。ですから、語るときは常に「善し悪し」よりも「何を実現したいか」を話すことこそが重要なのではないかと思います。
伝統として女人禁制の風習があり、それを守りたい。参加者が不足する中で、女性で参加したい人の参加は認めていきたい。「何をしたいか」を明確に議論していくことが大事だと思います。
特にジェンダーの問題は、無意識のうちに、私たちが生まれたときからずっとさらされている根深い問題です。善し悪しを考える理由を掘っていっても議論はまとまらないのではないかと感じています。差別的な言葉に対しても敏感な分野だと思います。感情的になりやすい話題です。
そのような議題だからこそ、どういう未来を描きたいのかを明らかにしていく話し方がより一層求められると感じています。
北京セッションまであと6週間ほどです。
私たちは「どうしたいのか」。仲間と考えていきたいなと思っています。
私たちは「どうしたいのか」。仲間と考えていきたいなと思っています。
農学部6年 坂西俊太