その中の一つに、ある女の子の話があった。タイトルもその子の名前も忘れてしまったが、ここではリカと呼んでおこう(たしかそんな名前だった気もする)。リカが他のクラスメイトと違うのは、友達と口論になったとき、相手の意見をあっけらかんと認めてしまうところだった。相手が熱くなり、さあケンカだというところで、「あ、それもそうだね。」と、素直に同意する。ニコッと笑うリカに、喧嘩腰になりかけていた友達もふと我に帰るのだった。
この本を読んだときから、なんとなく僕はリカになろうとしてきた。「あ、それもそうだね。」と言えることがなんだかとてもかっこいいような気がして、相手の正しいところはすぐに認めようとしてきた。そうして、よく言えば柔軟な、悪く言えば自分のない人間ができあがった。
日本人はディベートが苦手、というのもよく聞く話だ。アメリカ人などに比べ、日本人には意見と人格を同一視する傾向があり、自分の考えを離れてどちらかの立場に立ってみる、ということがどうも馴染まないらしい。それが正しいとすれば、反対意見を意に介さない人たちの存在も理解できる。
もちろん、僕のような考え方がいつも正しいとは思わない。相手の意見をひたすら批判的に考えることも重要な営みだろう。議論において、あるいは暴力を使って対立することでさえ、結論を出すためには必要なことなのかもしれない。例によって、僕はどちらに加担すべきか、決めきれていない。僕の中のリカは、考えあぐねている。
経済学部4年 浦野湧