メンバーの声① まず、一週間もの間、外界と遮断されてひたすら議論に邁進するということは今までにない経験でした。北京大生との議論はもちろん、東大生との議論も含め、議論や、議論とまでいかないようなカジュアルな対話によって私の知的好奇心は大いにくすぐられ、とても楽しかったです。ここではそれを前提として、私個人の問題意識について書きたいと思います。
分科会が始動した時を振り返ってみると、政府と個人と市場というテーマの壮大さに圧倒され、北京大生との議論にワクワクしながらも、議論が茫漠なものとなる不安を持ちつつ準備を始めたのを覚えています。しかし、いざ北京セッションが始まってみると、英語で伝えたいことを伝えること、相手の伝えたいことを英語で理解すること自体の難しさを実感し、「英語で議論をする」こと自体に私は多くのリソースを割くようになっていきました。様々な議題について議論を交わすうちに、北京大学の学生の多くが想像に反して私たちと近い考えを持っていたこともあってか徐々に議論が噛み合うことが多くなり、最初に持っていた不安はそれにしたがって徐々に消えていきました。しかし、セッションが終わってから時間をおいて考えたことは、表面上の議論で終わってしまったのではないか、もっと深いところに切り込めたのではないかという反省です。「英語で議論をする」ことに集中するあまり、あまり意見が対立しない、ある意味で予定調和な議論の流れに安住し、「北京大生なのに意外とリベラルな人が多いんだね」という言葉を言い訳にして、自分と他者の差異に注目しきれなかったのではないかと自問しています。もちろん、異なるバックグラウンドを持つ者と「英語で議論をする」こと、それ自体の重要性は計り知れないものですし、議論をするからといって必ず自他の差異を見つけようとしなければならないわけではありませんが、それでも全く同じ人間が一人としていない中で、個人間の差異に注目することは一定の意味がある営みであると信じています。こうした問題意識から、東京セッションは、一方では具体的な社会問題を取り上げて議論しつつも、もう一方でその社会問題を認識する私たち個人個人のものの見方にも着目するような議論の場にできたらいいと考えています。東京セッションでも全力で頑張ります。
メンバーの声② 今回の北京セッションでは、大きく分けて日中の社会経済システム、コロナ関連政策、経済活動の3つについて議論しました。まず両サイドの担当者がスライドを用いて基本知識のレクチャーをし、その後小グループでディスカッションを行いました。1日の予定が終了したあともzoomをつなぎ、ディスカッション中に出た話題をさらに話し合ったり、よりくだけた会話をするなど、日中の代表として、そして友人として交流を深めることができたと感じています。