1週間の香港セッションを振り返ると、濃密で刺激的な時間だったと改めて思う。香港に着いたその日、初めて北京大側のメンバーと直接会ったが、不思議と緊張や気まずさはなく、自然な流れで会話が始まっていた。ずっと前からお互いを知っているような居心地の良さがあった。夏のセッションでも、毎日の議論に加えてゲームや雑談なども行っていたためかメンバー間の距離を感じることは少なかったが、やはり同じ空間に集まって議論する方がはるかにやりやすく、内容も濃いものになったと感じた。
また香港という環境の特殊さも議論の質に影響を与えたのではないかと思う。このことは、特に中国という社会を論じようとするタイミングでより強く感じた。中国本土では規制されたり自粛したりするような内容について、双方から踏み込んだ質問や批判ができたのは、(推測ではあるが)香港での開催だったからだと思う。また、post-truth現象の解決の文脈で「デモクラシーの価値」について議論を行う機会があったが、数年前まで民主化運動が激しく展開されていた香港という場で、日中両国の社会制度やデモクラシーのあり方について議論することができたことは有意義であったし、香港現地のさまざまな方との交流もあってか、私たちは「やはりデモクラシーは重要だ」という共通認識に達した。議論場所が議論の内容に影響を与えるのかどうか、断定はできないが、少なくとも香港というどちらの側にとっても新鮮な「第三国」であったからこそ、自分たち自身を客観視した議論がしやすかったと言えるだろう。
何よりも、今回のセッションの議論の結果に全員が満足できたことが大きな成果だ。セッション後半では、post-truth現象の影響をいかに減らすことができるのか、そもそもpost-truth現象は解決すべき問題なのかという、困難で抽象的なテーマに行き着いてしまった。それでも、最終日までとことん議論を尽くし、全員が納得するまで突き詰めることができたことは、個人的にも楽しかったし、京論壇での議論かくあるべき、というものの例を示せたのではないかと思う。
議論のみならず、一緒に観光や食事をするなどの何気ない瞬間の積み重ねによって、今回の滞在がより特別なものになった。広東語しか通じないローカルな飲食店で悪戦苦闘したり、百万ドルの夜景を見たり、香港現地の大学生と交流したり…。毎日が刺激に溢れ、学びの多い1週間だった。
北京大生を見送る際もまた、不思議と寂しくはなかった。近いうちに再会できるという予感が強くあったからだ。この香港セッション開催のために尽力してくれた運営メンバーと、多くの協力者の方々は言うまでもなく、タイミングと場所に恵まれて直接会うことができた私たち自身の幸運にも、感謝を表したい。(Post-Truth分科会 加藤)